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私は出張に行く時
どの本を持って行くか本棚を眺めます。

 

荷物にならないよう
なるべく薄くて軽い本を選びます。

 

何も考えず、ふっと目についた本を手にとり
電車やバス、飛行機の中でじっくり読み始めます。

 

あるところまで差しかかった時に
この時期この本が必要だったということが
わかってきます。

 

もう読むのは4度目。

でも、入り方が全然違うんです。

 

「知ってる」
「わかってる」

 

この思い込みで、どれだけ損をしているのか。

 

本を読むと
え?こんなこと書いてあったっけ?
とか

こういう意味だったんだ!
とか

新しい発見があります。

 

その時には見えなかった
文字と文字の間から湧き出るもの
言葉から感じられるとても大切なこと

どれだけ思い込みのフィルターを通して
自分の見たいものだけ見てきたのか。

 

本に限らず、どの勉強でもそうなのでしょう。

 

「知ってる」
「わかってる」
「こうに違いない」

 

それは今の「意識」で認識してること。

 

低い視点から見る世界と
何かに気づき少し高い視点から見る世界では
見える景色が全然違うのです。

 

私たちを苦しめているのは
ある時から勝手に持ってしまった「思い込み」です。

 

「愛されてない」という思い込みが
実は「愛されていた」に書きかわると
現在、過去までも見える景色が変わります。

 

「わからない」という思い込みが
「わかりたい!」と真剣に願うと
脳の回路が新しくつくられ動き始めます。

 

そのためには今感じている悩み、苦しみ、
(例えばそれを鉛としましょうか)

をしっかり直視し
鉛の重さ、温度、大きさを認め、感じるという
最初のプロセスがとても大事です。

 

怒りを怒りとして認める
淋しさを淋しさとして認める
大きさ、それがある体の場所を知る

すると、それらの感情が生まれてくる
「思い込みの種」が見つかります。

 

よく「頭ではわかってるんですが」
という言葉を聞きます。

 

頭ではわかってる = 全然わかってない

ということ。

 

白紙にして
まっさらな心で聞くことで

 

「知ってる」
「わかってる」
「聞いたことがある」に

 

今までどれだけ邪魔され
フィルターをかけて読んできたかが
わかることでしょう。

 

誰もが新しいことを学ぶ時は、一年生からスタートします。

 

ずっと、6年生のままではいられないのです。

 

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