記事の詳細
子どもがウソをついたときに

子どもがウソをついたとき。
「ウソだけは許せない」と強く反応するお母さんがいます。
なぜ、そこまで許せないのでしょう。
自分も、さんざんウソをついてきたから?
今も、ウソをついて生きているから?
こう思っていませんか?
「いいえ、私はウソなんてついていません」と。
でもそれは、ウソの定義が、子どもと違うだけ。
いちばん見たくないのは
もう当たり前になってしまっている「自分のウソ」かもしれません。
大人が自覚していない「当たり前のウソ」
たとえば、こんな言葉。
・本当は嫌いなのに
「この人にもいいところがあるから」と自分に言い聞かせる
・やりたくないのに
「〇〇のためだから」と無理して頑張る
・本当は欲しいのに
「私はいいの」と遠慮する
これらは、実はすべて立派なウソです。
ただ、子どもと同じ形でついていないだけ。
だから大人は、
「自分はウソをついていない」と思ってしまう。
このズレが、親子の溝をゆっくり深くしていきます。
子どものウソは「存在を軽んじられたサイン」
こんな場面、ありませんか。
子:今日、晩ごはん何?
ママ:ハンバーグよ。
(数分後の心の中:あ、玉ねぎ切らしてる。焼きそばでいいか)
夜になって。
子:あれ?今日ハンバーグじゃなかったの?
ママ:そうだったっけ?
子どもが文句を言うと、
「うるさいな」「しょうがないでしょ」と半分キレながら言う。
ここで子どもが感じているのは、軽んじられた感じです。
「ママは、僕との約束をやぶっても平気なんだ」
「大人は平気でウソを言っていいんだ」
「僕にはダメって言うくせに」
「僕は、ちゃんとした説明をもらえる存在じゃないんだ」
子どもは、
ちゃんとひとりの人間として扱われていないと感じたとき、
怒られると感じたときに、
ウソをついたり、隠したり、問題を起こしたりします。
子どものウソを直そうとしなくていい
子どものウソを「直そう」とする前に、大切なことは
親自身が、当たり前につき続けているウソに気づき、直すこと。
自分の本音をごまかしていないか。
「いい人」でいようとしていないか。
本当は嫌なのに、飲み込んでいないか。
子どもは、親の言葉ではなく、
言葉に乗ってる「思い」のエネルギーと
親の生き方そのものを見ています。
ウソをやめさせるより大切なこと
子どもが素直で正直になれるのは、
「本当のことを言っても、ここに居ていい」と感じられたときです。
ウソは、悪ではありません。
自分を守るための、ひとつの手段です。
まずは大人が、自分に対して正直になること。
そこから、子どものウソは、自然と居場所を失っていき、
「本当のことを言っても大丈夫な世界」を
だんだん自分の中につくることができます。
ウソは、あとから「本当を言える」ようになる
親が子どものウソを責めなくなり、
親自身が自分のウソに気づき、直そうとすると、
不思議なことが起きます。
数日後、あるいは数か月後。
子どものほうから、「あれはウソだった。ごめんね」と、
正直に自分の非を認め、あやまれるようになっていくのです。
責められなかった経験。
否定されなかった記憶。
それが、「本当を言っても大丈夫だった」という
身体の安心感覚として残るからです。
その力は、大人になってから人生を支える
こうして育った子どもは、大人になってから、
人との関係の中で誠実な対話を重ね、信頼を得ていきます。
ごまかさず、押しつけず、
自分の非を引き受けることができる。
その積み重ねが、人との関係に偏りを生まず、
バランスのとれた、豊かで安定した人生をつくっていきます。
ウソを叱らなくてもいい。
正直を強制しなくてもいい。
ただ、「本当の気持ちを感じてもいい場所」を
大人が先につくるだけでいいのです。
「良心」という名の「大人ごころ」
誰もが心の中に「良心」があります。
罪悪感が溜まり過ぎると、
この「良心」という名の「大人ごころ」とつながれなくなり、
苦し過ぎて自分の非を非として認められず
人のせいにし、人を批判否定で攻撃し、
それが周りに映し出され、周りが敵だらけに見えていきます。
人との関係は、実は自分との関係。
子どもの頃は、特にお母さんとの関係。
今から、
気づいた時から、
関係の修復を始めても、
遅くはないのです。






