記事の詳細

この時期になると、
毎年、決まって思い出す記憶があります。
 
私が「お嫁さん」という立場で生きていた頃のことです。
 
年末年始が近づくと、義理実家に行く予定が入り、
その瞬間から、心が重くなっていきました。
 
「嫌だ」という一言では足りない感覚。
 
休みのはずなのに、なぜこんなにも緊張し、
疲れる場所に行かなければならないのか。
 
当時の私は、
その理由を言葉にすることができませんでした。
  

よくしてくれていたのに、受け取れなかった

今だから分かることがあります。
 
義理実家は、決して私に冷たかったわけではありませんでした。
むしろ、よくしてくれていたと思います。
 
気をつかってくれていた。
配慮も、遠慮も、あった。
 
それなのに私は、
それを「受け取る」ことができませんでした。
 
心のどこかで、ずっと疑っていたからです。
 
「これは本心なのか」
「本当は迷惑なんじゃないか」
「私は歓迎されているのか」
 
疑いながら差し出されたものを受け取ることは、
ほとんど不可能です。
 
どれだけ手を伸ばしてもらっても、こちらが身構えたままでは、
温かさは体の中に入ってきません。
  

「よそ者」という感覚の正体

義理実家に着くと、そこには血のつながった人たちがいました。 
長い時間を共有し、当たり前の空気を持っている人たち。 
その中で、私だけが「外から来た人間」のように感じていました。
 
誰かに排除されたわけではありません。
でも、「自分はここにいていいのか」という感覚が、常に消えなかった。
 
だから私は、先回りして気をつかいました。
手伝わなきゃ。
愛想よくしなきゃ。
感じのいい嫁でいなきゃ。
 
その一方で、心の奥には、はっきりした本音もありました。 


「私は嫁なんだから、客扱いしてほしい」
 

今思えば、とても身勝手で、甘えた本音だったと思います。
でも、当時の私の中には、確かにそんな思いが存在していました。
  

ブラックホールに放り出されたような感覚

義理実家では、
お年玉をもらい、
みんなからチヤホヤされる子どもたちがいました。
 
その光景を、
私はどこか羨ましい気持ちで見ていました。
 
子どもたちは、そこにいるだけで歓迎され、
存在そのものを喜ばれているように見えました。
 
一方で私は、何かをしなければならない存在でした。
気を利かせ、動き、笑い、場に合わせる存在。
 
夫は、子どもの頃の話で盛り上がっていました。 
私の知らない思い出。
私の知らない関係性。
私の知らない時間。
 
その世界を共有している姿を見ていると、
私はまるで、
ブラックホールに放り出されたような感覚になりました。
 
同じ場所にいるのに、どこにも属していない。
誰も、私に興味を持たない。
誰も、私のことを褒めてくれない。
 

私は、「ここにいていい理由」を、
自分で作らなければならない人間でした。
 
その孤立感と寂しさを、当時の私は、
うまく言葉にすることができませんでした。
 
だから代わりに、
怒りとして、嫉妬として、
心の奥に溜め込んでいったのだと思います。
  

怒りと嫉妬の行き場

義理実家では、怒りを出すことはできません。
 
出せば、
空気を壊す人になる。
面倒な嫁になる。
 
だから、すべてを飲み込みました。
 
そして、家に帰った瞬間、その感情は爆発しました。
 
夫に。
子どもたちに。
 
今振り返ると、私は彼らを、
自分の感情処理のための
サンドバッグのように扱ってしまっていたと思います。
 
怒り。
嫉妬。
孤立感。
劣等感。
 
当時の私は、自分のことしか考えていませんでした。
 
「私はこんなに苦しい」
「私ばかりが我慢している」
「私があなたの息子の面倒を見ているのよ」

その視点しか、持つことができなかったのです。
  

それでも、受け入れられていた

でも今、はっきり分かることがあります。
 
それでも私は、受け入れられていました。
 
感情をぶつけても。
未熟なままでも。
身勝手でも。
 
夫も、
子どもたちも、
そして義理実家も。
 
誰も、私を
切り捨てなかった。
見捨てなかった。
 
そのことが、
時間をかけて、ようやく受け取れるようになり、
胸の奥に残っています。
  

後悔と罪悪感は、成熟のサイン

年末年始になると、後悔と罪悪感が浮かび上がります。
 
「申し訳なかった」
「自分勝手だった」
「未熟だった」
 
でも、この感情が出てくるということ自体が、
成長の証です。
 
当時は見えなかったものが、今は見えている。
 
自分の感情だけでなく、相手の立場や、
受け止めてくれていた事実が、見えるようになっている。
 
それは、「子どもの心」から
「大人の心」へ移行している途中に起きる、
とても自然なプロセスです。
  

年末年始に心がざわつくあなたへ

もし今、この時期に、
理由の分からない後悔や罪悪感、
怒りを感じているなら。
 
それは、
あなたが間違っているからではありません。
 
あなたの中で、視点が増え、理解が深まり、
心が成熟しているからです。
 
後悔できるということは、
もう一度、自分を見直せる場所に
立っているということ。
 
罪悪感は、あなたを罰するためではなく、
次の在り方を選ぶために現れています。
 
年末年始に揺れる心は、成長の途中にいる証。
 
その揺れを、急いで消そうとしなくていい。
 
それを感じられるあなたは、もう、
あの頃のあなたではありません。

関連記事

ページ上部へ戻る