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「お母さんをやめたい」と思う時と、「お母さん」をやめた方がいい時

「お母さんをやめたい」
世のお母さんは、この言葉が心に浮かぶとき、自分を責めます。
・母親失格なのではないか
・冷たい人間なのではないか
・愛情が足りないのではないか
実は、この言葉が出てくる理由は一つではありません。
同じ「やめたい」でも、
そこに至る背景と、進むべき方向は大きく違います。
ひとつ目「お母さんをやめたい」
毎日、家族のために動いてきた。
子どものことを最優先に考え、
自分の時間も、気力も、後回しにしてきた。
それでも、
ありがとうと言われることはほとんどなく、
不満や文句、要求だけが増えていく。
気づけば、自分が何を感じているのかも、
何が好きだったのかも、わからなくなっている。
この状態で出てくる
「もう、お母さん、やめたい」という言葉。
それは、自己犠牲をし続け、
もう限界を越えている、ということ。
やめたいのではなく、限界を越えている
このような状態で必要なのは、
「母であることをやめること」ではありません。
・ただひとことでいいから感謝されたい
・これまでの労力を、認めてもらいたい
その本音を、
まずは自分自身が「わかってあげる」ことです。
お母さんという役割は、
無償で、当たり前のように続く仕事です。
どれだけ尽くしても、
評価も報酬もなく、
やって当然、できて当然と扱われやすい。
それでも「もうやめたい」と思うたびに、
「こんなこと思うなんて」と自分を責め、
罪悪感から、さらに時間やエネルギーを子どもに注ぐ。
このエンドレスループの循環に、
長く身を置いてしまう人も少なくありません。
本当の気持ちに戻ると、選択が変わる
その反動として、
本当に子育ての役割が終わったとき、
今度は別のカタチで「罪悪感」がどどーっと押し寄せてきます。
それが、体調不良や気力の低下として現れることもあります。
ここで大切なのは、
「よくやってきた」という事実を否定しないこと。
やめたいと思うほど、
限界まで頑張ってきた、ということ。
・つらい
・疲れている
・認められたい
こうした感情を、
なかったことにしない。
「私は、本当は疲れているかもしれない」
そう認めて、休む。
労力に見合った報酬
感謝、理解、成長を
欲しいと思っていいし、口にしていい。
それらが、
思うように返ってこないかもしれません。
けれど、
言わずに諦めるのと、
言った上で「仕方ない」と線を引くのとでは、
その後の気力がまったく違います。
「お母さんをやめたい」
その言葉の奥には、
・本当はやめたいわけではない
・こうしたい
(時間が欲しい/お金が欲しい/感謝してほしい)
そんな本音が隠れています。
それが少しずつ言葉になり、
自分の感情とつながっていくと、
自己犠牲からではない選択ができるようになります。
子どもの未来と、
自分自身の人生を見据えた上で、
「お母さんをやる」という選択に変わっていく。
心の状態が整ってくると、
感情に振り回されずに、
子どもと向き合えるようになります。
躾けることも、
距離を取ることも、
冷静に選べるようになる。
それは、
子どもにとっても、
大人の心が育つ土台になります。

ふたつ目「お母さんをやめた方がいいとき」
上記の「お母さんをやめたい」とは、
まったく違う理由から
「お母さんをやめた方がいいとき」があります。
こういう時も、
言葉では「もうお母さん、やめたい」が出てきます。
それは、恋愛がうまくいかず
相手が自分の思う通りにならない時
「別れたい」と口にする感覚とよく似ています。
相手(子ども)に依存し、
自分のものだ、と思っていることろからの
「やめたい」です。
本当はやめたいのではなく
私の心を満たして!私を永遠に満たして!
という思いが裏切られた時に、そう思います。
たとえば
子どもが自分で決めようとすると、不安になる
距離を取られると、落ち着かなくなる
頼られなくなると、存在が揺らぐ。
表面では、
「心配」「愛情」「親として当然」
そう見えるかもしれません。
けれど、内側で起きているのは、
必要とされ続けたい気持ちです。
この状態では、
子どもが成長するほど、
母親は苦しくなります。
なぜなら、
子どもの自立は、
母の役割を終わらせていくからです。
ここでの「やめたい」は、
疲れではなく、私を置いて行かないで、という
手放し(巣立ち)への抵抗から生まれます。
依存は、善意の顔をしている
このタイプの母性は、
自覚しにくい特徴があります。
・本人は一生懸命
・周囲からも「いいお母さん」と見られやすい
・自分が依存しているとは思っていない
けれど、
子どもを通して安心を得ている以上、
関係には偏りと、力関係が生まれます。
子どもは、
母の不安を感じ取り、
無意識に応えようとします。
それが長く続くと、
自分の選択がわからなくなります。
この場合、母がやめるべきなのは、
世話ではなく、「依存からの結びつき方」です。
母が自分の人生に戻るとき
母が、「私は私の時間を生きる」
と決めたとき、
子どもは、
「自分の人生を生きていい」
と感じ取ります。
これは教えなくても伝わります。
母が「必要とされる役割」ではなく、
一人の人として立ったとき。
子どもを糧に生きるのを、やめた時。
親子関係は自然と次の段階に移ります。
どちらの「やめたい」なのか
今、「お母さんをやめたい」と思っているなら、
どちらの「やめたい」なのか?
私は、疲れ切っているのか
それとも、手放せずにいるのか
答えによって、選ぶ行動は真逆になります。
やめなくていい場合もあれば、
やめなければ前に進めない場合もあります。
大切なのは、状況を、感情を、そのまま見ることです。
母である前に、自分の人生を見つめる。
一人の人として立つ。
そこから始まる関係は、
これまでとは質の違う、深いつながりとなるのです。





