記事の詳細
子供を守る時
長男が小学1年の2学期の中頃に
学校全体で毎年恒例のマラソン大会が
近くの河川敷でありました。
運動が苦手な長男は私によく
学校行きたくない、マラソンさぼりたいと
ぼやいていたのでいつもじっくり話を聞き
前日あたりからやっと
「走ってみようかな。やってみる」と
明るい笑顔でやる気を出してくれました。
「A君やB君やC君はね、
10位以内に入ると
お母さんがおもちゃ買ってあげるって
言ってたんだって」と言うのを
「ふ~ん」とその時は
それほど気にはしていませんでした。
いざ本番。
お母さんたちもたくさん見にきています。
一番小さい長男は最前列。
後ろにはわんさかやる気満々の
元気で大きな男の子たちが今か今かと
スタートにドキドキしています。
よ~い、ドン!
その時、この目ではっきり見ました。
後ろの子が長男を両手でボン!と押したのを。
転んだ長男は次々後ろから来る子供たちに踏まれ
両ひざは血だらけ。
やっとみんな通り過ぎ、泣きながら起き上がりました。
私は前日までの長男の心の葛藤と
やっとやる気を出した時の明るい笑顔を思いだし
それなのに・・・と、
もうどうしようもない怒りでわなわな震えながら
泣きながら、ひざから血を流しながら
先生に手をひっぱられコースを走る長男を
遠くから見ているしかできませんでした。
やっと勇気を出し
校長先生や周りの先生に
もうなんて言ったか覚えてないのですが
「こんなマラソン大会はおかしい!」と
震えながら泣きそうになりながら訴えました。
そんな時、ビリで完走してかえってきた長男。
始めは手を引く先生に
痛がってるんだから、泣いてるんだから
そこまでしなくてもいいでしょ!と 怒り心頭だったけど
完走できた満足げな表情を見て
先生に対して感謝の気持ちが溢れてきました。
それまで私はずっといい人を演じていて
子供が小さい頃、目の前でいじわるされても
その子のお母さんの手前
いじわるされるうちの子の方が悪いんだと
子供を守ってあげることができませんでした。
もう重症の「いい人」です。
そしてはっきり言えなかった自分に腹が立ち
公園から帰ると
子供たちによく当たっていました。
私の母は、 あーしなさい、こーしなさい、と
結構かなりガミガミ言う人で
そんな言い方しなくても、と
いつも傷ついていましたが
私を守ってくれたことが大きく2回ありました。
小学6年と高校1年の時に
先生の勘違いから言われた言葉がショックで
泣きながら帰ってきたのを見て
母はすぐ学校に電話し
先生はあやまってくれました。
それで安心して次の日
学校に行けたのを覚えています。
長男のマラソン大会の時にそれを思いだし
勇気を出して先生に言うことができました。
翌年から、長男の小学校では
マラソン大会はなくなっていました。
私が訴えたからなのかはどうかはわかりませんが
母が私を守ってくれたように
私も子供を守ってあげれたことが
母親としてまたひとつ経験値を積めた気がして
おかしいことはおかしいと
やっと言えた自分が少しだけ嬉しく思えました。
私は本当に典型的な「いい人」だったけど
これを機に自分の気持ちが言えるようになり
だんだん本当の自分が戻ってきました。
子育てを通して
私が私と出会えたきっかけ
そんなひとつの出来事です。
「私は結構はっきり言ってます」
「私は感情をちゃんと表現しています」
そう思っていても
実は本当の気持ちをまだわかってないことの方が
多いのです。
自分が自分の気持ちに気づくまで
子供が家族がいろんな出来事を通して
時にトラブルとなり教えてくれます。
もしまだどこかでかすかにでも
「苦しい」と感じるとしたら
私が私の声を聞いてあげてない、ということ。
私が私の気持ちに気づいてない、ということ。
スケジュールをいっぱいにしたり
ずっとおしゃべりしてたり
いつも誰かと一緒にいたり・・・
人の話はよく聞くけど
人の世話はよくするけど
自分の話はいつ聴いてるのかな?
自分のケアはいつしてるのかな?
だからポカっと自分の時間ができたり
ひとりになるといてもたってもいられなくなり
携帯を手から離せなくなるのです。
自分の本当の気持ちに気づくと
いい人からだんだん卒業できます。
ひとりひとりがいい人から卒業していくと
とっても気持ちのいい関係が築かれていくし
ひとりの時間も満喫できるようになります。
これからは
あなたがあなたの話を聴いてあげてね。
ひとりの時間は
とてもとても大切な時間なんです。