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私は、ずっと「いい人」だった。
少なくとも、そう在ろうとしてきた。

頼まれたら断らない。
困っている人がいたら、先に手を差し出す。
空気を読み、場を壊さないように振る舞う。
自分の気持ちより、相手の都合を優先する。

それは、優しさだと思っていた。
与えることは、いいことだと信じていた。

でも、正直に言えば。
心のどこかで、ずっと思っていた。

「いつか、返ってくるだろう。」

 

それは、お金や物じゃない。
「あなたのおかげだよ」という一言だったり、
「あなたは価値のある人だ」と認めてもらうことだったり、
「大切にされている」と感じられる態度だったり、
もっと深いところでは、
無条件に愛してもらえること、だったのかもしれない。

与えることで、
自分の存在価値を証明しようとしていた。

 

 

でも現実は、いつも同じだった。

返ってこない。
思っていた形では、決して返ってこない。

最初は、気にしないふりをする。
「そんなこと、期待してないし」
「自分が好きでやってるだけだし」

そう言い聞かせる。

けれど、ある日ふと、
胸の奥に小さな棘のような感情が刺さる。

あれ?

なんで、こんなに虚しいんだろう。
なんで、こんなに疲れているんだろう。

微かな怒りが、顔を出す。

「私は、こんなにやってるのに」
「どうして、当たり前みたいに扱われるんだろう」

その怒りは、とても小さくて、
とても恥ずかしいものだった。

だから私は、すぐにそれを否定する。

「そんなふうに思う自分が嫌だ」
「見返りを求めるなんて、いやしい」
「私は、そんな人間じゃない」

怒りは、罪悪感にすり替わる。

そして私は、また「いい人」に戻る。
もっと与える。
もっと我慢する。
もっと尽くす。

罪悪感を感じたくないから。
「世のため、人のため」と自分に言い聞かせて。

 

 
こうして、循環は続いていく。

与える → 返ってこない → 怒りが湧く → そんな自分が嫌になる → 罪悪感 → もっといい人になる

気づけば、
自分の「価値」は、どんどん下がっていく。

まるで、
「私を雑に扱っていいですよ」
「後回しでいいですよ」
「時間も気力も、好きに使ってください」

そう差し出しているみたいに。

でも心の奥では、
こんな声が渦巻いている。

本当は、大切にされたい。
本当は、選ばれたい。
本当は、特別でいたい。

 

これほど矛盾した心があるだろうか。

「私を下僕扱いしていいですよ」と言いながら、
「どうして姫扱いしてくれないの?」と怒る。

それが、「いい人」の正体だった。

自分の価値を下げておきながら、
「なんで大切にしてくれないの?」と嘆く。

「迷惑かけたくない」と黙っておきながら、
「なんで私のことをわかってくれないの?」と傷つく。

これに気づいた時、
正直、ゾッとした。

48歳にもなって、まだ姫扱いされたいの?

「ちょっと、キモいよ。」

 

自分にそう言ってやった。  

 

   
じゃあ、
いい人をやめたら、どうなるのか。

想像するだけで、怖くなる。

嫌われる。
見放される。
孤独になる。
冷たい人間だと思われる。

世界中が、敵になったように感じる。

今まで自分を守ってくれていた
「いい人」という鎧を脱ぐことは、
丸腰で荒野に立つような感覚だ。

だから、ほとんどの人は、やめられない。

たとえ苦しくても、
たとえ自分をすり減らしても、
「いい人」でいる方が、まだ安全だから。

 

 

でも、あるところまで来ると、
もう続けられなくなる。

身体が先に壊れる人もいる。
心が空っぽになる人もいる。
突然、何もしたくなくなる人もいる。

それは、怠けでも、わがままでもない。

心の限界だ。

いい人をやめる、というのは、
意地悪になることではない。
冷酷になることでもない。

「与える前に、自分を確認する」
ただ、それだけのことだ。

今、私は本当に余裕があるか。
今、これは喜びから出ているか。
今、断ったら何が起きるのか。

断っても、関係が壊れるなら、
それは最初から、対等な関係ではなかった。

 

 

いい人をやめて初めて、
時間が戻ってきた。

予定が空いた。
誰かの感情を先回りして処理する必要がなくなった。
一日の終わりに、まだ体力が残っている日が増えた。

嫌われた分だけ、
確実に、時間が戻ってきた。

私はその時間を、
誰かのために使わなかった。
失った関係を取り戻すためにも使わなかった。

ただ、自分のやりたいことに使った。

派手なことではない。
評価されるかどうかも分からない。
結果が出る保証もない。

それでも、
やると決めたことを、
淡々と続けた。

隙間時間にも、すぐ文章を書く。
一日15分でもいい。
誰にも見せなくていい。
うまくいかなくても、やめない。

ただ、目標に向かって進む。

 

 

そうしているうちに、
不思議なことが起き始めた。 

嫌われても、
嫌った人たちはある日罪悪感で苦しむ。

そして、いつか
心を入れ替えて戻ってくることもある。

私は何も言っていないのに、
距離を置いていた人が、
近づいてくることがあった。

謝罪でもなかった。
説明でもなかった。
理由のはっきりしない、
ぎこちない雑談や、探るような視線だった。

人は、自分のしたことから逃げられない。
誰かを雑に扱った記憶は、
いつか必ず、自分の中に戻ってくる。

それは、私がどうこうする話ではなかった。
責める必要も、正しさを示す必要もなかった。

「お天道様はみてる」と私はずっと思ってきた。
そして、その通りになったことがいっぱいある。

私は、
ただ自分の道を進んでいただけだった。

 

  

これが、いい人をやめるコツ。

ただただ、自分の目標に向かっていく。

戻ってくる人もいた。
戻ってこない人もいた。

それは、
もうどうでもよかった。

関係が戻ることが、
目的ではなくなっていた。

自分の足でしっかりと立ち、
自分の目標に向かって進んでいる感覚の方が、
はるかに大きくなっていた。

 

 

いい人をやめると、
世界が冷たくなるのではなかった。

世界が、私が望んでいた温度に戻っただけだった。

過剰な期待もない。
過剰な配慮も気遣いも遠慮もない。

誰かの人生を背負わなくなった。
誰かの機嫌を、自分の責任にしなくなった。

その分、
自分の人生を、
自分で引き受けることになった。

責任は増えた。
けれど、自由も増えた。

孤独は、消えたわけではない。
ただ、孤独の質が変わった。

不安から生まれる孤独ではなく、
集中から生まれる孤独になった。

この孤独は、私の邪魔をしない。
何かを積み上げる時間を、
静かに守ってくれる。
これが本当の安心感だ。

 

 

私はもう、
「いい人」には戻らない。

それは、
強くなったからでも、
冷たくなったからでもない。

姫をやめて、女王になると決めたからだ。

 

女王は、民を栄えさせる責任がある。
責任があるから、それなりの対価をもらっていい。

チヤホヤされたいなら、
下僕に構ってもらうんじゃなくて、
先生になって、みんなを喜ばせて、
その結果としてチヤホヤされればいい。

嫌われる可能性を含んだまま、
それでも進むと決めたからだ。

今も、
ただ淡々とやっている。

評価が出ない日もある。
不安が出る日もある。

それでも、
目標に向かって進む。

それだけで、
十分だと思える場所に、
私は立っている。

 

 

いい人。
いつやめる?

それは、
「もう、自分を安売りしない」と
決めたときだ。

その瞬間から、
あなたの人生は、次のステージに入る。

そのステージにいる人は、
あなたから時間を奪わない。

あなたの「NO」を尊重する。

自分の人生に、自分で責任を持っている。

与えることも、受け取ることも、対等だ。

「いい人」をやめた先にあるのは、
孤独ではない。

自立した大人同士の、静かなつながりだ。

 

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