記事の詳細
家族とのお別れ
3年前、メルマガに書いた記事です。
ペットは大切な家族。
出て来る感情をひとつひとつ、抑えることなく感じきることで、
喪失から抜け、一緒に過ごした思い出は鮮やかに残るのです。
==
覚悟はしていました。
いつかこの日が来るということを。
一度お別れを経験しているので
今回は以前よりずっと早く
悲しみは通り過ぎていきました。
たった1日で。
湧き上がる感情をそのまま感じる
ということを
知ってて本当によかった!
長男も次男も三男も
ひとりひとり自分の中で
静かに自分の感情と向きあっていました。
その心の中をのぞくことなく
誰も邪魔することなく
そっとしておける距離感
この家族で本当によかった!
と思いました。
「何が起きてもそのまま感じるんだよ
必ず通り過ぎていくから・・・」
この言葉が浸透し
家庭が居心地のいい空間になっていることを
あらためて実感しました。
先週の19日早朝、出張で東京に経つ時
もしかしたら私がいない間に17年共に過ごした愛猫が
旅だってしまうかもしれない
これで最期かもしれない
でもまだ大丈夫かも?と
喉をゴロゴロ鳴らすのも苦しそうな
猫をなで
「じゃあ、行ってくるね」と
空港に向かいました。
次の日土曜の夕方から急に悪化し
起き上がれないくらいになり
瞳孔は開いたまま
おしっこももらし
私が帰ってくるまで間に合わないかも
と思っていたそうです。
東京セミナーでは集中した
本当に充実した時間を過ごすことができ
帰りの飛行機の中でやっと猫のことを
思い出しました。
夜、家についてから
家族ひとりひとりに
お別れの覚悟をするよう伝え
私があえて言わなくても
みな、わかっていました。
普通にバイトに行き
普通にパソコンをし
普通に今まで通りの日常が流れていました。
病院に連れていこうか迷いましたが
このまま何もせず自宅で普通の生活の中
逝かせてあげたいと思い見守っていました。
3年前、14歳だった犬が亡くなる時も
悪化してから2日で
家族全員見守る中
私の腕の中で旅立ちました。
今回も、私が帰ってきた翌々日のAM2時
何度か苦しそうに声を出し
すっと息をひきとりました。
失った悲しみより
共に過ごした喜びの方が何百倍も大きく
毛の感触、抱きしめたぬくもりまで
はっきり覚えています。
ただ存在するだけで
こんなにもたくさんの愛を与えてくれて
私たちがつい忘れがちな大切なことを
いつも思い出させてくれました。
犬が亡くなった時
学校があったので三男を行かせましたが
「あの時、5時間目の授業中、
悲し過ぎて涙がぽろぽろ出てピアニカひけなかった」
というので今回は休ませました。
本当に最期の最期のお別れの時
車の中で三男と一緒に泣きました。
「いっぱい泣いていいよ、
泣ききるとすっきりするからね・・・」
車の中は声を出しても安全なので
心おきなく嗚咽が出るまで泣いていました。
そして、すっきり。
部屋にはもう亡くなった猫はいないけれど
家族の心の中には想い出が残っています。
うちにはもう1匹猫がいて
最初の1日目は「にゃあにゃあ」鳴いてましたが
すぐに慣れ
自分のペースを満喫しています。
喪失の感情は何段階かあり
そのひとつひとつを感じて味わうことで
「受容」できます。
いなくなって悲しいけれど
同時に「ほっ」とする気持ちもあるのです。
苦しんでる姿を見ることもなく
おしっこやウンチの後始末をしなくていいので
安堵の気持ちも湧き上がってきます。
その両方が交互に現れますが
どちらもダメなものではありません。
過去の深い悲しみから
まだ抜けられなくてもいいのです。
何度も思いだし
何度も感情を感じ
もっとこうしてあげたかったと
時に自分を責め
いっぱい後悔し
そしてまたひとつ、
気づかないレベルの
小さな『完了』が起こります。
一生一緒に過ごせる唯一の人は自分自身。
すべての気持ちや感情
そして、体を大切に・・・。
今日も一日
精一杯
想いを込めて
その手と言葉を使い
目の前の人に
与えていってください。