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「永遠に続く」と思った瞬間、心は重くなる

私たちが絶望を感じるとき、そこには必ず「この状態がずっと続く」という思い込みがあります。

落ち込むほど、抜け出せない穴を掘ってしまう気がする。けれど実際には、人は“這い上がれないほど深い穴”を掘ることはできません。

不思議なもので、「どうにかしよう!」と必死に抵抗するほど、エネルギーを注ぎ、かえって長引かせてしまうことがあります。
「これも、私に必要な時間なんだ」と受け入れたとき、忘れた頃に終わっている。

受け入れた瞬間、もう卒業に向かって動き始めているのです。

 

成長はまっすぐ右肩上がりじゃない

いいことも、悪いことも、永遠には続きません。

むしろ次のステージに行くためには、一度しゃがみこまなければならないこともあります。ジャンプの前に膝を曲げるように。

その過程で劣等感が顔を出すこともあります。けれど、その劣等感をしっかり感じきり、負けを認めたときこそ、前より高く飛べる。

上がったり下がったりを繰り返す中で、ときには大きく落ちることもありますが、その分だけ高く登れる。

そして「底辺」そのものも、少しずつ上がっていきます。

 

他人の幸せがまぶしく見えるとき

人の幸せを喜べないときは、それは「自分のどこを幸せにしていないのか」を見つけるサインです。

どんなに恵まれて見える相手にも、必ず“レッスン”があります。責任、プレッシャー、不自由さ…。

それらを想像できたとき、心はバランスを取り戻します。

これは相手を悪く思うためではなく、「完璧な幸せは存在しない」と知るための視点です。

 

永遠じゃないからこそ、今を味わう

どんな季節も、ずっとは続かない。春が終われば夏が来るように、苦しい時間も、喜びの時間も、移り変わっていく。

だからこそ、今という一瞬を、まるごと味わい尽くしたい。

やがて、ひとめぐりしてまた次の季節がおとずれたとき、前より「美しい」と感じられる景色に出会う。

その景色を美しいと感じられる自分に、ふと嬉しくなる。

 

未来からの贈り物として受け取る

起きている出来事は、未来の私がくれた贈り物かもしれません。

「これを乗り越えたら、もっと軽やかに生きられる」というメッセージ。

変えようと必死にあがくより、「これと共に生きてみよう」と思えたとき、不思議と風向きは変わります。

辛い時間は、永遠じゃない。

それを知っただけで、世界は少し優しくなります。

そして、やがて気づくのです。

終わらないと思ったあの日さえ、

私をやわらかく、強く、美しくしていたことに。

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