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人生という名の山登り

あるストーリーから
二人の山岳ガイドが教えてくれたもの
自分の声を信じるという選択
人生には、まるで山の八合目のような瞬間がある。
そこは、これまで登ってきた道のりが惜しく、かといって頂上を目指すには勇気と覚悟が必要な場所。
その地点に立たされた時、私たちは選ばなくてはならない。進むのか、戻るのか。誰の声を信じるのか。
そして、そのとき目の前に現れるのが、二人のガイドだ。
経験の違う、二人のガイド
あるところに、対照的な二人の山岳ガイドがいた。
ガイドAは、エベレスト級の山を10回以上登頂してきた熟練の登山家。
命の危険すらある過酷な環境を何度も越えてきた彼の目には、頂上から見たあの「この世のものとは思えない景色」が刻み込まれていた。
一方、ガイドBもかつてその山に挑んだことがある。だが、あまりに辛く、途中であきらめてしまった。それ以降、彼は無理のない近場の山を100回以上登るという道を選んだ。数だけ見れば豊富な経験を持っているが、頂上の本当の美しさを見たことは、一度もない。
八合目での選択
この二人が、ある日、山岳初心者たちを連れて中級の山に登っていた。
8合目までたどり着き、ひと休みしたとき——
ガイドAが静かに、けれど確信を持って言った。
「あと少しです。頂上からの景色は、必ずあなたたちの人生を変えるでしょう。一緒に行きましょう。」
彼は確信していた。この感動こそが、人を真に変容させる力を持つことを。だからこそ、山岳初心者たちにもその体験をしてほしかった。
しかし、登山者の何人かが息を切らし、弱音を吐き始めた。「もう無理かもしれません」。そんな彼らに、ガイドBは優しく語りかけた。「無理をする必要はありません。ここまでよく頑張りました。もう十分です。引き返して、普通の暮らしに戻りましょう。それも立派な選択です」。
実際のところ、ガイドBはこの山の頂上を見たことがなかった。頂上からの絶景が人にもたらす感動の深さを、彼は知らなかった。だからこそ、彼には「そこまでして登る価値があるのか」という疑問しかなかった。彼の言葉は優しく、どこか安心感があった。けれどその裏には、頂上の景色を知らないがゆえの“疑い”と“恐れ”が隠れていた。
仲間か、自分の声か
初心者たちは、迷った。
心のどこかでは「上を目指したい」と思っているのに、引き返すことを選んだ仲間の方が正しいように見えてくる。
「ここまで一緒に登ったのだから、一人だけ違う道を選ぶのは裏切りなんじゃないか」
「もしついて行って失敗したら、どうなるんだろう」
そんな不安と、仲間意識という名の同調圧力が、心を支配していった。
ガイドAは心を込めて語りかけた。何度も体験した、あの魂を揺さぶる感動を彼らにも味わってほしかったから。
「ここを越えたら、道は楽になります。だから、もう一歩だけ踏み出してみませんか」と。
けれど、その声に応えたのは、たったひとりだけだった。
孤独な登頂への挑戦
残りの登山者たちは、「ガイドBの言う通りだ」と納得し、下山の道を選んだ。彼らにとって、それは賢明で現実的な判断に思えた。
たった一人、ガイドAと共に頂上を目指すことを決めた登山者は、途中で何度も後悔した。「やっぱり戻ればよかった」「あの人たちと一緒にいた方が楽だった」足は鉛のように重くなり、息は苦しく、心は迷いに支配され続けた。
しかし、ガイドAは寄り添い続けた。文句も受け止め、泣き言も全部聞き、ただ「あと少し、あと少し」と静かに伴走してくれた。
そしてついに、二人は頂上にたどり着く。
頂上で見た光景
その瞬間、目の前に広がっていたのは——
この世のものとは思えないほど美しい絶景だった。
言葉では言い表せないその光景。その瞬間、登山者は文句を言いながらも自分を支え続けてくれたガイドAに、泣きながら感謝を伝えた。
ガイドAもまた、静かに涙を流していた。
下山の道は、登りの苦しさが嘘のように軽やかだった。足取りは弾み、心は喜びに満ちていた。
それぞれの「その後」の人生
その後、頂上を経験した登山者は、数々の山に挑戦し続け、いつしか自らも人々に感動と変容をもたらす真の「ガイド」として、豊かな人生を送った。
ガイドAは彼にとって永遠の師となり、彼は人生の最期まで、多くの人に喜ばれながら働き続けた。
一方、ガイドBと共に下山した人たちは、日々の生活に追われ、やがて挑戦する気力も失っていった。
「今が幸せであればいい」と自分に言い聞かせながら、本当の願いにフタをしたまま、なんとなくの満足で日々をやり過ごすようになった。
時折、「あの時もし、ガイドAについていっていたら……」という想いが胸をかすめる。けれど、その後悔の波に飲み込まれるのが怖くて、忙しさや日常に逃げ込み、必死にその考えを打ち消そうとした。
未体験のものは理解できない
体験したことのないことは、体験していないから分からない。これは当然のことだ。では、どうすればより良い選択ができるのだろうか。
答えは、「自分に聞く」ことにある。
私たちの内なる自分は、常に何かを囁いている。その声を聞こえなくさせているのは、主に二つの要因だ。
一つは「ネガティブな感情を嫌うこと」、もう一つは「人のことを気にする気持ち」である。
この二つが、あなたの未来を曇らせる。
判断を鈍らせる二つの要因
ガイドBについて行った人々は、これらの感情に支配されていた。「辛い」「先が見えない」「本当に美しい景色なんて見られるのか」「そんなことして何になる」という不安。
そして「仲間と一緒なら安心」「仲間と行動することが美徳」「仲間から抜けると嫉妬される」という同調への欲求。
これらが正しい判断を妨げていたのだ。
対照的に、ガイドAについて行った一人は、日頃から自分で決断し、自分で選択することを習慣にしていた。どんなに世話になった人であっても、その人の意見より自分の内なる声を優先していたのである。
八合目からが本番!
自分の進みたい道に進もうとする時、必ず邪魔をする人や思考、感情が現れる。私たちはそれらに阻まれ、本当に望む未来を選択できず、常に楽で手っ取り早い道を選ぼうとしてしまう。
しかし、八合目からが本番なのだ。この地点で立ち止まった時、ガイドAとガイドB、どちらを選ぶかで、その先の人生は大きく変わる。
真のガイドの特徴
興味深いことに、真のガイドであるガイドAは目立たず、無理強いもしない。彼は常に自分と向き合い、仲間もいなかった。だからこそ、常に自分に集中することができたのだ。
仲間とは確かに安心感を与え、助け合える存在だが、時として本当に進むべき道の障害になることもある。仲良しこよしの「依存し合う仲間」ではなく、同じ志とビジョンを持つ「自立した同志の仲間」こそが、真の仲間なのである。
人生という山登り
人生は山登りのようなものだ。新しい道を選択する時、次に登ろうとする山を選ぶ時、必ず感情と他人の声が判断を鈍らせようとする。
そんな時こそ、一人になって自分の内なる自分と深くコミュニケーションを取ることが大切だ。そこに、最良のガイドがいるのだから。
あなたなら、どちらのガイドを選ぶだろうか。八合目で立ち止まった時、内なる声に耳を傾けることができるだろうか。
真の頂上への道は、いつもそこから始まるのである。