記事の詳細


推し活で元気をもらえた。
誰かの役に立って「ありがとう」と言われた。
頼られて、必要とされて、居場所を見つけて安心した。
新しい資格を得るために学びを始めた。

それは、とても素敵なことです。誰かを支えたり、感謝されたりする経験は、生きる力を与えてくれる。私自身も、何度もそうやって心を救われてきました。

でも、ある時ふと気づいたのです。

もしかしたらそれは「夢を生きている」のではなく、「安心を得ている」だけなのかもしれない、ということに。

 

——-
安心を”夢”と勘違いして生きる
——-

私たちは、安心を得ると「これが私のやりたいことだ」と錯覚します。推しを応援しているとき、感謝されているとき、自分の存在が認められているように感じる。

けれど、もしかしたらそれは本当の夢ではないのかもしれません。それは、自分の中にある空白を一時的に満たしてくれるもの。

安心は悪いものではありません。むしろ、人間が生きていくために欠かせない”土壌”です。推し活も、誰かに感謝されることも、どれも尊い体験。それらを否定したいわけではないのです。

ただ、安心の中にずっと留まってしまうと、成長が止まってしまう。

そして私たちは、いつの間にかこうなります。

「もっと感謝されたい」
「もっと必要とされたい」
「もっと居場所がほしい」

その”もっと”を追いかけて、誰かの目の中に自分を探し続ける。

安心をくれるものがなくなった瞬間、心がざわついて、次の”安心の源”を探し始める。それは、まるで水を汲むような生き方です。

 

——-
壺に入れる石の話
——-

ある教授が、授業で大きなガラス壺を取り出しました。
そこに手のひらほどの石をいくつか入れて、「壺はいっぱいですか?」と尋ねます。
学生たちは『はい』と答えました。

すると教授は、小さな砂利を入れ、次に砂を入れ、最後に水を注いで言いました。

「この壺に最初に水を入れていたら、大きな石はもう入らなかっただろう。
大切なことから先に入れなさい。」

この話の”水”こそが、私たちが求めてしまう「安心」なんです。
気持ちよくて、すぐに満たされるけれど、形を保てない。

私たちの心の壺には、まだ石を入れるスペースがある。
でも水で満たすことに必死で、石を入れることを忘れてしまっているのです。

だから私たちは、次の水を探して歩き続ける。
推しが変わり、職場が変わり、人間関係が変わり、夢の形も変わる。

でも心の奥では、いつも同じ感覚が残る。

「何か、足りない。」

それは、水ばかり注いでいて、まだ”石”を入れていないから。

 

——-
本当の夢とは、「水」を超えたところにある
——-

本当の夢は、誰かに認めてもらうためのものではありません。
「誰かに必要とされたい」「愛されたい」という思いが出発点だと、その夢はいつか苦しくなります。

なぜなら、それは「他者の目」で生きる夢だから。

誰かが喜んでくれると幸せで、離れていくと不安になる。
評価が上がるとやる気が出て、下がると自信をなくす。

それは、他人の感情で自分の軸を動かしている状態。
つまり、自分の人生を”外側の水流”に委ねているのです。

真の夢とは、「自分が何者であるか」を思い出す旅。
誰かのために生きることの先にある、”自分の本質”と再会することです。

 

——-
水の時代を抜け出す
——-

私にも「水の時代」がありました。感謝されることが生きる意味だと思っていました。
頼られることで、自分の存在を確かめていました。

でも、気づいたんです。

感謝されるほど、息苦しくなっていく。
「もっと頑張らなきゃ」と焦る。
「私がいなきゃ」と思い込み、疲れ果てて、夜ひとりになると涙が出る。

それは”夢を生きている人”ではなく、”誰かのために生きることで安心を得ている人”。

そんな自分に気づいたとき、私は初めて、自分の中に「石」を探しました。
私の場合、それは誰に評価されなくても、やらずにはいられないことでした。

 

——-
石を置くという決意
——-

石とは、あなたの「核」です。誰かの期待でも、社会の評価でもなく、「私はこれをやりたい」と心の底から湧き上がる声。

それは、たとえ誰にも理解されなくても、何度転んでも、「それでも、やりたい」と思えること。

安心ではなく、挑戦。
承認ではなく、責任。
依存ではなく、自由。

“石”を置くとは、そういう生き方を選ぶことです。

 

——-
あなたの壺に、何を入れますか?
——-

安心のための水を入れる生き方は、やさしくて、心地いい。
でもそれは、永遠に満たされることのない旅でもあります。

真の夢は、安心の外側にあります。怖くても、未知でも、それが「あなたの中の本当の声」なら、どうか勇気を出して、その石をそっと置いてください。

最初は小さな音しか響かないかもしれません。でも、確かにそこに「自分の人生の重み」が宿ります。

水は流れていきます。けれど、石は残ります。それが、あなたという存在の証。

 

——-
おわりに
——-

“推し活”も、”感謝される喜び”も、”人とのつながり”も、どれも尊い体験です。それらを否定する必要はありません。

ただ、それらはあなたを”真の夢”へ導く道のりであって、ゴールではないということ。

安心の水で満たす人生から、自分という石を置く人生へ。

あなたの壺に入れる”最初の石”は、なんですか?
それが、あなたの真の夢です。

 

──自己探求ワーク──

1️⃣ 今、私が「安心のために」していることは?
 (誰かの期待・承認を得たくて続けていることは何だろう?)

2️⃣ 本当は怖くて避けている「やりたいこと」は?
 (失敗を恐れて、後回しにしている”心の声”は?)

3️⃣ 今日から入れる”最初の石”は何?
 (小さくてもいい。自分のために、ひとつ始めてみよう。)

関連記事

ページ上部へ戻る